赤面逆上心理。
前に最初の記事を書いてから二週間ちょっとが過ぎてしまった。
実のところを言うと、ブログという媒体が苦手だと感じていて手をつけようと思えなかった。前回の記事に「書けそうだ」などと書いていながら何を言っているのだというところではあるのだが、そうは言っても、気が進まないのだから全くどうにもしようが無いわけで。
それでも、ブログを書いている知り合いが僕には複数人いて、彼らの存在はいくらかのモチベーションになるようである。
以前の記事に書いた、ブログという媒体に対する期待(この言葉は的確では無いかもしれないが)もあって、そういうモチベーションは不定期ではあるが確実に上がってくるみたいだ。
なので、今回はその「気が進まなかった」ということについて書いてみようと思う。
ここから先は完全に僕個人の性質に関する語り口なので共感してもらえるかわからない話になると思うのだけれど、僕は理論整然とした一貫性のエミュレートが非道く苦手だ。
これを言ってしまえばお仕舞いかもしれないけれど、言葉という媒体に対して大きなコンプレックスを抱いている。
おっと、唐突に抽象的なことを言ってしまった。これは良くない。
例えば、幼少期を思い起こしてほしい。
あなたは幼稚園にいたかもしれないし、若しくは保育所だったり、それ以外だったりするかもしれない。そこは、住宅街の真ん中だっただろうか、それとも少し拓けた土地の中にあっただろうか。僕の場合は、自然公園の青空保育だった。
くすの木を登り、クヌギ林を駆けて、草むらでカマキリを追い回した日々をよく憶えている。人によっては積み木だったかもしれないし、プラレールだったかもしれない。
あの頃のぼくは多くの言葉を知らなかった。多くの人がそうだったと思う。
「相対的概念を絶対的に捉えることによって言語化された思考プロセス」
なんて言ったって、てんでわかりゃしない。
ぼくらにとって「はっぱのみどり」は葉っぱの緑ではなかったし、「ゆうやけのあか」も夕焼けの赤ではなかった。
ぼくは、「僕」という一つの人格ですらなく、自由で奔放で際限のない一つの精神であったように思う。
あまり多くの言葉を知らなくて、それでも心の内には多くの感情が渦巻いていたはず。
いつから、 グラデーションの赤っぽい部分を切り取って「赤」と呼ぶようになったのだろうか。
なーんてポエティックに書き散らしてみたが、なんとなく伝わるだろうか。
色々な言葉を覚え、多くの人は言葉で感情を区別しているつもりで、言葉に感情を区別されるようになっていく。「自分自身」ですら、その例外では無い。言葉を口から出すということは、つまり総てを伝えることに対する諦めでもあって。それでも何かを伝えたいと思うとき、人は自分の無力を堪えて言葉を発するのだと、僕はそう思いたがっている節がある。
上記の、自由奔放な精神の世界を直接伝えられたらどれほどいいかと夢想するわけだが、そんなことが輪郭(言語や音、絵など)なしにできるはずもなく、閉口し沈黙する生活を送っている。そうこうして生まれてくる感情をパーっと吐き散らすには、やっぱり詩や短文が丁度良い。「輪郭のない世界」を前提にして何かを書くには、具体的なトピックは相性が悪いのだ。けだし輪郭のない観念には輪郭がなくて、凡そ総ての事柄がそれ以外の総ての事柄と関連づけられている(同時に離反している)のだから当然のことだ。
それで、ブログという媒体に対して苦手意識が生まれていた。生まれていたというか現在進行形で苦手かもしれない。例えば、「気が進まない」ということだってこれまでの文脈からすればグラデーションの一部でしかないわけだから、これを説明するためには書く場所であったり直前に食べたもの、その日の気分や僕自身の過去だったり…要約すると僕の人生総てから論を立てて説明しなければならないことになってやりきれない。無論、そんな事はできないので一つのトピックに合わせて主だった部分を抓んでいくのだが。ここで何を削るか、削った上でどのように論を成り立たせるかということが、どうしたって言い訳じみている気がして削ったはずのものを補填したくなる。
ブログは文章が長いというのもそこに一役買っている。一貫性というのが苦手で仕方がないのだ。一時期、厨二病よろしく小説でも書いてみるかなんて考えたことがあったが、文体を統一することにリソースを割きすぎて内容や構成が全然追いつかず断念している。
これは一貫性が苦手というより、一貫性のない状態を前提にしているからというのが適切なのだと思うが、だから言葉という一貫性を口から出すと「嘘をついている」という罪悪感に苛まれることになる。今だってそうだ。あとで恥ずかしくなるに違いない。これを赤面逆上と言います、憶えておきましょう。あとやっぱり、「公開する」ことによって意識される他者の存在も大きい。
大方、「気が進まなかった」理由はこんな感じだ。こうして言語化したことでスッキリもするし、こうして言語化したことでモヤモヤもする。
ともあれ、まぁ、そういう記事です。
以上、「赤面逆上心理。」でした。
では、また。