ランダムな思考プロセス

逆張りオタクの備忘録

氷菓あれこれ①:「ある古典部の」

※この記事シリーズにはネタバレがあります。  

f:id:akarasi:20190207040631p:plain

*1

 

アニメ『氷菓』は名作だ。

どう名作なのか僕に聞かれても困る。どうあったって名作なのだと言い張るしかない。僕の解説能力では手に余るほどの名作なのだ、勘弁してほしい。テーマや思想も素晴らしいし、モチーフの使い方や散りばめ方だって何回観ても飽きない濃さを持って居る。

 

青春は、やさしいだけじゃない。痛い、だけでもない。ほろ苦い青春群像劇。」*2

 

青春期にみられる、青春を「青春」と呼ぶことすら憚られるほどに多感な精神活動は、それが光輝であれ陰惨であれ、どのような色であっても、人の記憶へと印象的に焼きつくことが多いだろう。そこにある言葉にならない逡巡や決断、その他にもそれをはじめとする様々な(本当に様々な)活動を、氷菓という作品はとても秀逸に描いているように思う。

 

これが「ミステリ」であるということもすごくで、ミステリであってしまっては僕はもうお手上げだ。無論、SFや他のジャンルだってそうなのだが、なんらかのテーマを伝えようと様々な伝達手段を駆使するとき、そこにはある一定の「計算高さ」が必要になるのではないだろうか。良くできた設定のSF世界観であったり、良くできたキャラ設定であったり、作者が意図するにしろそうでないにしろ、計算はどこかに存在し続けるように思う。その中でもミステリというジャンルは「計算高さ」がむしろ一つの目的になる節がある。脳の回転が遅い僕はこれが苦手で仕方がないのだ。さらにその上でテーマの追求を元にモチーフを設置し、初心者を門前払いしないストーリーを構築するなどされてしまうと、お手上げもいいところなのだ。

 

エヴァンゲリオンや俺ガイルなんかは多少小難しいシーンがあるので、「ここが考えるシーンだぞ」というのが鑑賞者にとってわかりやすい。仮に思考力1の人が観ても3~4くらい返ってくると思う。では、氷菓はどうかというと思考力1の人が観ても1しか返ってこないだろうと思う。だけど、思考力10ある人が観てもちゃんと10返ってくるのだろうという感触を僕は覚えている。

未視聴の人がいたら是非是非観てみて欲しい。乃至読んでみて欲しい。

このアニメを観て何を感じるのか、そういう現在位置の確認のために僕は節あるごとに氷菓を観直したりしている。

 

どうしてこんなことを書いているかというと、つい先日知り合いから「氷菓の考察をやれ」などと言われたからなのだけれど、 これは前述の通り無理だ。

「(現段階の僕の感性と知識量では)できる理りが無い」と書いて無理と読むのだ。

 

ということで考察というよりは問題提起と仮説を中心に、なぁなぁにやって観たいと思う。里志のいう「データベース」に出来心の毛が生えたようなものだと思ってもらえたらいい。基本的には、専門的な知識がないと拾えない様な情報はなるべく取り上げずにggればすぐにヒットするような情報から気になったポイントを挙げて行こうと思う。なので、所謂「考察勢」と呼ばれる人にとっては自明な内容になってしまうだろうがそれは申し訳ない。

 

作品というのは多くの場合、鑑賞者がそれを観る時間よりも長い時間を費やされて作られている。鑑賞者が製作者の「時間」に寄り添おうとすれば、「鑑賞者の時間」だけから観るよりも多くの意図を掴むことができたりする。

 

例えば物語であるならば、(登場人物に感情移入したり)ストーリーをなぞるような見方は「鑑賞者の時間」だと言えるように思う。そこに「製作者が何をどう考えながら創作したか」を想像する見方が加われば、鑑賞という行為に彩が増すかもしれない。その入口として役に立てればいいなーという感じです。

 

差しあたっては、アニメ『氷菓』の最初の章であるところの『氷菓』のストーリーからはじめていきたい。ちなみに、僕はまだ古典部シリーズを全巻読破しておらず、今回は原作の文章を前提にしない基本アニメのみからの提起になっていることをご留意いただきたい。

 

すでに前置きで1000文字書いてしまった。言い訳しないと言葉を紡げない性分なので、申し開きのしようがない。 

 

さて、ご存知の通りこのアニメは原作がそうであるようにストーリー内での事件にそっていくつかのパートに区切られている。

 

原作のタイトルからパートを区切ると、

  • アニメ表題であるところの『氷菓』 についての物語が1話から5話で、
  • 8話から11話が『愚者のエンドロール』、
  • 12話から17話が『クドリャフカの順番』、
  • 20話から22話に『遠回りする雛』があって(20話は確信がないが。)、
  • 6、7、18、19話が閑話のようで重要な1話完結のストーリーになっている。

 

ここで迷うのが、どういう順序で、どの視点から、物語を読み解いていくかということだ。或る話に登場するモチーフやらなんちゃらの説明を、その話のうちで留めるのか、それともパートまで持っていくのか、はたまた全体まで引き上げるのかということなのだけれど、これについては諦めることにする。僕自身、再履修しながら書き進めていくことになるし、勿論全体でまとめて構図を分けてから作った方が理論整然としていて読みやすいだろうけれど「そんなことやっていられない」という一身上の都合でそれは無しだ。

基本的に1話ずつクローズアップしていくつもりではあるが、例えばX話のYがZのモチーフであるということの根拠にそれ以降の話から例を出さなければならなくなるかもしれなかったりして、これはどうしようか非常に迷っている。ということで、①から順に読み進めなければ(読み進めてさえ)ナンノコッチャな内容になると思うが、それは、なんというか、申し訳ないということで一つご勘弁を。

 

迂回をしてしまった。

氷菓』 についてだ。

アニメ全話の中で氷菓』のパートがどの話に当たるかというのは、サブタイトルの一覧を見ると非常にわかりやすい。

 

1話: 伝統ある古典部の再生

2話: 名誉ある古典部の活動

3話: 事情ある古典部の末裔

4話: 栄光ある古典部の昔日

5話: 歴史ある古典部の真実

 

という風に一貫したサブタイトルになっているからだ。

 

これを括ると、

 

「ある古典部の」

  • 伝統/再生
  • 名誉/活動
  • 事情/末裔
  • 栄光/昔日
  • 歴史/真実

 

て感じになる。

これらの言葉には何か法則性がありそうな気がしてならないのだけれど、誰か思いついたら教えて欲しい。

ところでこれを見て思うのは、こんな抜き出しかたをすると補助動詞としての「ある(有る)」が「とある(或る)」みたいな連体詩に見えるなということで、わざわざここを残して他の部分を変則的にしているということは、そういう見方の可能性もありなのかなということをここに留めておく。つまり「〇〇ある古典部」だとこれは特徴付けられた特定の古典部であって英語ならTheがつく古典部になるわけだけれど、「或る古典部」ならばこれは「数ある古典部の中の一つ」ということになって彼ら古典部の存在は矮小化される。こうなると彼ら古典部「主人公」であるのか、「ただの登場人物」であるのか、という二面性がサブタイトルに込められている、可能性もありますねーということだ。

 

ともあれ、ここで氷菓古典部という二つの言葉が強調されていることは間違いないと見ていいだろう。タイトルと基本設定なのだから当然ではあるのだけれど、意識するという意味で、この強調を認めておくというのはやっといて損はない。

 

とりあえず、内容に触れないところで説明できるのはこのくらいかな。

 

次は1話「伝統ある古典部の再生」について、可能なら一記事でまとめたいと思っています。

 

  

*1:出典:アニメ『氷菓』一話

*2:TVアニメ「氷菓京アニサイトより